2024/04.05 話そう!今日のありがとう/連合会の日ブログ記事
父の思い出/ 亀山教会 服部みどり
人の縁とは不思議なもので、身内でも合わない人も居れば、他人であっても生涯の御縁を授かることもあります。縁があって出逢い、触れあい、寄り添い合って…。以前、性格的に合わないと言われた事もありましたけど、それも縁、心の在り様で、周りは面白くも成るしつまらなくも成るのかも。縁は、不思議ではなく有難いものと思うと同時に、人と人との間で活かせて貰い、形成されていくものかと思いました。
以前勤めていた会社の社長が、老若男女偉人凡人みんな生身の人間、寿命は明日かもしれないから、今をやり残す気持ちは持つなと仰り、休日に自分史を作ったり、不在時でも分かる様にと保管場所や家財の減価償却リストを作っていました。戦前生まれの社長の話に共感できたのは、傍に居た祖父母の言動を、子供ながらに見ていたからかもしれません。5円持って10円稼いで来いというハングリー精神の明治生まれの祖父、祖母は三歩下がって歩くという封建的な家庭環境。友達が前夜のテレビ番組の話をしても、我が家はニュースかドキュメンタリーか懐メロ、大家族が嫌な学生時代でした。ある日、祖父と観た原爆投下や戦時中の話、新年を迎え何年経とうが関係ない、自分がどれほど穏やかで有難い日を送らせて貰ってるかを感じて居なくては勿体ないと呟いて居た祖父の表情が哀しそうで、昔臭いと思っていた祖父の話は、今思えば貴重な時間だったと感じました。また、共働きで忙しかった両親、退屈そうな顔をしていたのか私を、亀山駅へ連れていってくれアイスキャンディーを半分っこし列車を眺めていた事は、細やかな思い出です。父は、近所に住んで居た父の母親が腰を曲げて持って来てくれた好物のお饅頭さえも、分けっこしてくれました。母も今でも私にだけ分けっこしてきます。自分だけがおいしい目をさせて頂くのは勿体ないと感じるのか、乏しい食料を兄弟みんなで分けていたからなのかと推察しながら、私の子供も一人っ子ですが、半分っこしてくれるのは両親のDNAかなと思います。昔は嫌いだった大家族が一緒に日々を送る中で、喜びや楽しみを分かち合い寄り添い、時として、遺憾や哀しみの限界を覚え見聞を広めさせてくれた事の有難さを、我が子にも経験させてあげたいと思いました。夫の考え方は、生まれてくる時も死ぬ時も独りだから、孤独に強くならなくてはいけないと言います。複雑な気持ちの私は、環境が違う者同士が結婚したのだから考え方が違っても、どうして?と否定するより、そうやなと笑って暮らせと言っていた事を思い出しました。最近の夫は年齢のせいか頑固ですが、少し父に似てきました。半ば人の為に、半ば自分の為にと。
父と姑は、同年同月に寝たきりになりながらでも、父は一人暮らしの姑を気にし、姑は父の事を気遣い、姑が亡くなった翌年、父も寿命を全うさせて貰いました。私は、祖父母や両親の家に生まれ出逢い、夫と結婚し子供や舅姑と出逢い、御縁のお陰を頂きました。
人は生まれた時に寿命が決まってると言われる方もいますが、生まれてからの言動により、親は親らしく子供は子供らしく何事もらしい生活の中で、知らず知らずの内にしてしまっている御無礼お粗末な事を、目に見えない神仏がお気付きを与え、それにより改まり、生き方と命のお陰を戴かせて貰う信心生活が、穏やかな命に繋がるのかなと思いました。父の主治医曰く、故人の性格によりみんなに見送って欲しい人、みんなを泣かしたくないと気遣われ知らない間に亡くなる人、様々ですよとのことでした。父は、私たち家族の為に一生懸命働き気遣い、金光様や檀那寺さんにお仕えさせて喜んで頂き、私達あとに残る者が無事に日々を送らせて貰える様にといつも言っていました。
父が、金光様と出逢い御縁と御徳を戴き、最期の生き方、寿命のお陰を授けて戴いたのかなと思いました。明日も目の前に居てくれるであろう母との御縁に御礼を申し上げ、母の喜んだ顔に和賀心で寄り添わせて貰いたいと願うばかりです。まずは、今月今日の身体の丈夫の御礼とお願いですね。。。ありがとうございます。
Comments